東
リアクションで「キャラが立つ」というのはありますか?
古舘
先生
「この人には強くいけるけど、この人にはいけない」、そういう対応でも性格が見えてきますよね。影山はめちゃくちゃ強気というか、我が強い面があるけど、先輩には従う。そこから、ちょっと体育会系の感じがありつつ、学生っぽさも見せていて。
東
先輩方には苗字プラスさん付けですもんね。
古舘
先生
そうですね。
東
そこも難しいですよね。たとえば、影山なら「旭さん」ではなくて「東峰さん」と呼ぶだろうな、とか。
古舘
先生
そうですね。確かに呼び方はけっこう考えましたね。みんなは西谷のことを「ノヤッさん」って呼んでて、日向は「ノヤッさん」っていう呼び方がカッコイイから真似たくて真似るんだけど、ちょっと慣れていないから小さい「つ」が入っていないんですよ。日向だけ。
東
ええ!? そんな理由だったんですか!?
古舘
先生
「ノヤッ」っていうところがカッコイイから言いたい、けどみんなが言うほど馴染んで言えてないから「ノヤさん」になっちゃう。
東
なるほど、田中ほど使いこなせていないんですね。「ノヤッ」を。
古舘
先生
「ノヤッさん」は日頃から呼ぶリズムじゃないですか。日向の「ノヤさん」は、意識して言う感じで。
東
呼び方って作家さんが設定しているじゃないですか。けれど古舘先生の中にいる日向の人格が「ノヤッさん」って言えなくて「ノヤさん」になっている、というのを、外から見ている感じもあるんですよね。そこはどういう感覚なんですかね?
古舘
先生
うーん、何なんですかね?でもやっぱり、「こいつはすぐに馴染んで言えるだろうか」って考えたんですよね。
東
なるほど、難しいですね。確かに思い返すと、日向は絶対に「ノヤさん」で、田中は「ノヤッさん」だけど、それが言い慣れているか、言い慣れていないかということまでは考えていない。
古舘
先生
まあ、それは気付く必要は特にないやつですけど(笑)。
東
でもめちゃくちゃ初期じゃないですか。連載が長く続けば続くだけ、作家さんとしても日向に関することがわかってくる。でも、はじめから「こいつはノヤッさんって言えないだろうな」となるのってすごいですね。
古舘
先生
日向のキャラは連載する時にめちゃくちゃ考えたんで。日向は陽の主人公の感じだけど、今までの有名な主人公とは変えていこうと。悟空とかルフィとか、今までの主人公はボケ気質だったから、ツッコミ型にしようというのがまず一番強くあって。あとはビビりというか、あれこれ考えるタイプだなという。
『四ッ谷先輩の怪談。』の連載をやっている時に、主人公が考えていることがわからなくて、辛かったんですよね。自分と近い要素がないと辛いことが、描いてみるまで単純にわからなかった。だから「自分とは全く違う感じにはしない」という反省を踏まえて、日向のビビリな部分とか、色々と心の中でツッコんじゃう部分は、自分も同じリアクションしそう、というのが入っているからなんです。
そういう意味では日向が他人に気を遣うとか、ちょっと考えてからやるみたいな一面も強くあったので「ノヤさん」呼びになる。逆に、後半だったらそこまで考えていなかったかもしれません。日向のそういうところは連載前からキャラ造形を繰り返し修正している頃に、深く考えたからかもしれないですね。
東
いわゆるアホキャラみたいな、デリカシーのなさは日向にはないですもんね。他人との付き合い方というか、距離の測り方が上手で。言っていいことと悪いことがちゃんとわかっていますから。
古舘
先生
そうですね(笑)。
東
日向の慎重さや気遣い屋な面は古舘先生に近いということですが、そうやって誰かをモデルにして作ることはあるんですか?
古舘
先生
要素としてはないですかね。プレースタイルとかセリフとかで実際の選手をモデルにすることはあるけど、人格はない気がしますね。割とみんなベースはステレオタイプで、そこにちょっとだけ変なところを入れる。そうするとちょっと人間っぽい感じになる気がしています。菅原とかも、最初は何か儚げだったじゃないですか。
東
薄幸の美青年じゃないですけど、そういう感じでしたよね。
古舘
先生
そうそう、でもそれだと何か借り物感があったのでちょっと変な人に。
東
菅原はどんどん偏差値が下がっていきましたもんね(笑)。
古舘
先生
そうですね(笑)。
東
菅原がいわゆるカッコよくて頼りになってシュっとしている副主将ではない、ということですよね。
古舘
先生
そうですね。もしそんな副主将だったら、描いていて「誰これ…?」ってなる。
東
寒気がしてしまうんですね。
古舘
先生
そう!自分の中に無さすぎて。
東
方法論として「キャラにギャップを作る」はよく言われますよね。熱い系のキャラだったら、優しい部分を作るとか。
古舘
先生
不良が子猫を拾うとか?
東
そうそう、そうすると「キャラが立つ」とよく言われますけど、実際どうなんですか? 安直にやるのは良くないなと思うんですけど……。
古舘
先生
確かに……。
東
大枠で見たら菅原もそう捉えられるんですけど、そう簡単じゃないと思うんですよ。例えば、東峰がめちゃくちゃ怖い顔で、身体も大きくて強いのにビビりみたいなのって、方法論で言うと「ギャップでキャラを作っている」となるんですよ。でもそんな単純じゃないなと思っていて。そのバランスのとり方を新人作家さんに上手く伝えられると、すごく役に立ちそうだなと思うんですが。
古舘
先生
うーん…。やりながら塩梅を探る、ですかね。となると、そこに自分の知り合いだとか、今までの印象的だった人を参考に……って言いそうになるんですけど。
東
でもやったことはないんですよね?
古舘
先生
ないですね。
東
それが不思議です。たとえば、古舘さんから見た本田さん(初代担当)を、漫画のキャラクターに落とし込んだら面白く転がりそうなんですよ。でもそうはならなかった、そうはしなかったわけで。
古舘
先生
たぶん「そこまで知らないし」って思うんですよね。本田さんについても、本田さんのほんの一部分しか知らないから、その人がここで何をしゃべるかまでは想像できない感じです。
東
誰かをモデルにしようとすると、その誰かのことがわからないから、むしろテンプレっぽくなっちゃう…面白いですね。
古舘
先生
自分が勝手に「この人はこういう人だな」って、一面を見て思っているだけだから。
東
それっぽいことを言わせて終わっちゃうと。
古舘
先生
もしかしたら脳内では夢が構成されるように、いろんな人の部分を無意識に勝手に組み合わせて落とし込んでいる可能性もありますけど。
東
担当していて思ったのが、鴎台の別所が「よしみざわよしお」って言った瞬間に別所のキャラが立った!と感じて。あれがすごい。もちろんその前からブロックのタイミングでモノローグをブツブツ言っている感じなのはありましたけど。「よしみざわよしお」に「おおお!」って(笑)。
古舘
先生
ちょっと疲れていたんじゃないですか(笑)。まあ、別所とかはわりと今までにいなかったというだけで作ったキャラで、ある種どう遊んでも後でこの人がめちゃくちゃ重要なシーンに出てきて扱いに困るということはない。だから何を言わせても、まあ心の中だし。
東
自由演技ができる人ですもんね。
古舘
先生
そうです。奇抜な設定とか癖とかって後々扱いに困りそうじゃないですか。でも別所はそれをやってもいいヤツ(笑)。
東
大ゴマで別所の一言が入って「次号巻頭カラー!」とはならない、とわかっているということですね。
古舘
先生
そうです。ブラジルで出会うのが別所ということはない(笑)。福永とかもね。
東
確かに。でも福永は徐々に重要度が上がっていっちゃいましたね。
古舘
先生
確かに、大人になってから(笑)。
第8回へ続く