――はじめて漫画賞に投稿したときに、担当編集がついたのでしょうか?
附田
先生
いえ、まだです。親友から譲ってもらった「鬼ごっこ」のネタの作品は最終候補にも残らなくて「あと一歩」という欄に名前だけ載りました。「佳作くらいは獲っちゃうかも!?」と本気で思っていたんですけどね(笑)。なので「つぎこそは!」と奮起して、新たにネームを考えはじめました。そのときも、完成までかなり早かったと思います。たしか10~20日くらいでネームを作って、今度はGペンでコリコリコリコリ1ゕ月くらいかけて仕上げました。それが『牙になる』で、ありがたいことに新人漫画賞を受賞して、増刊の「赤マルジャンプ」に載りました。担当編集がついたのは、このときです。
――それは何歳の頃ですか?
附田
先生
19歳、大学2年生のときですね。自分で言うのもなんですが、トントン拍子に進みました。
――漫画創作にあたり、脚本術のような本は参考にしましたか?
附田
先生
その頃はいっさい読んでいませんでした。漫画作りに興味があったので、「ジャンプ」に載っている「●●先生に訊く」とかの漫画創作の記事ページは欠かさず読んでいました。また、本誌や増刊に載る新人作家さんの読切漫画も好きで読んでいたので、読切漫画の規模感やページ感、創作論に近しいことは、肌感覚でつかめていたのかもしれません。むしろ、創作論や脚本術の本は『少年疾駆』の連載が決まってから、担当編集に薦められて読みました。
――芸大に進学しようと決めたのは、どうしてですか?
附田
先生
高校2年生の頃、将来は絵やものを作る仕事をしたいなと思ったんです。やっぱり絵を描くことが好きでしたから。美術部だったのでその顧問の先生に相談したら、都会の美大か芸大への進学を強く勧められて。都会、特に関東・関西の大学で得られる情報だったり、切磋琢磨する周りの生徒の数だったりを考えると、都会に出なさい、と。そうして、合格した大学のなかで、いちばん倍率の高かった大阪芸術大学へ行くことに決めました。
――将来はデザイン系の仕事がしたいと考えていたのでしょうか?
附田
先生
そうですね。画家だと職業として潰しがきかなそうだけど、デザインだったら仕事の幅が広いかなと思って。打算ですね(笑)。でもデザイン学科で学んだことは、漫画作りに通じるものが多かったです。たとえばクリエイティブ広告で使う「誰にぶつけるために、これをやるのか?」というターゲティングは、「ジャンプで戦うなら、誰にぶつける?」という考え方に使えます。ただ、ターゲットに合わせるだけなら誰が描いてもいいので、そこに自分の癖(へき)を乗せるために、アートディレクション的なことはちゃんとやらないといけない、みたいなことはデザイン学科で学びました。
――デザイン思考は、そのまま漫画に活かせるんですね。
附田
先生
活かせると思います。構図を決めて意味をもたらすという意味では、漫画にもアートやデザインの側面があるというか。「この決めのコマを見せたいから、そのためにどうする?」みたいなことは、デザインの方法論や技術論だと思うんです。
――レイアウトを合理的にしていかないと、伝えたいものが伝わらないという感覚ですか?
附田
先生
そうです。いちばん見せたいページが決まったら、その前のコマは構図が被らないようにしようとか、俯瞰にしようみたいに、芋づる式かつ論理的にカチカチカチって決まっていくと思うんです。デザイン学科では商品を作ることを学ぶので、漫画と相性がよかったと思いますね。
――そういう商業意識は、『少年疾駆』や『食戟のソーマ』の創作に活かせましたか?
附田
先生
偉そうに語ってしまいましたけど、半々かな(笑)。担当編集には「附田くんは癖(へき)を素直に出せるのが強みだから、ターゲッティングはあまり考えないで」と言われていたので。『食戟のソーマ』では読者層を考慮してお色気描写のレベルを調整したところもありましたが、けっきょく「僕はこんな料理人の男がいたらかっこいいと思うけど、みんなどう?」と読者にゆだねる感じだから、やっぱりあまり活かせていないかもしれないです(笑)